松島観光と石巻・被災と復興の地を訪ねて(被災地巡り編)

2014年05月10日 16:44 <--クリックお願い!

ゴールデンウィーク後半の4連休中に出掛けて来た、宮城県松島と石巻の旅。
第3話では、いよいよ東日本大震災の爪痕を巡った様子と写真をお届けします。
いよいよ5年振りの石巻入り。しかも、今回は市内とその周辺を3日間掛けてじっくりとめぐる旅で、これまでのように、1泊のみで祭りやCFM局のみをターゲットとした旅では無い。

最初に到着したのが知人の家。そこは、昨年亡くなった自分の母親の親友の家である。先ずはその家で震災当時の様子を伺った。
当時は、石巻駅の北側の中里地区に住んでいたが、津波被害のため北部の鹿又地区に移り住んだ。話を伺ってビックリしたのが、津波が石巻市内を襲い始めた15時台よりもはるかに遅い、20時頃になってみるみるうちに水かさが増してきて、逃げることが出来ずに自衛隊のボートに救助されたとか。
海から離れた地区で、しかも最初に石巻を津波が襲った時間から5時間近くも経過してからの事態だったので、避難はしていなかったそうだ。

地震自体は、家具が横転する程のものでは無かったとか。海辺に津波襲来した時間から5時間近い時間までまったく水が来ていなければ、誰だって津波は来ないと思ってしまいますよね。

自分が石巻に住んでいた頃は、鹿又地区は水田ばかりが目立つ所だったが、今は完全なる住宅街。これも、震災以降に急激に変化した現象だとか。

その後、その知人の車に乗って、雄勝地区、女川町を回ってみた。

最初のポイントは、多数の児童が津波の被害にあった大川小学校。でも、ここでは車を停めずに通過するだけにするからと言われた。なんでも、ここには多数の小学生の霊がおり、地元の人は近寄らないからとか。
「うーん。そんなものなのか。」

次に女川町へ向かう。自分の記憶は、駅のすぐ近くに港があり、市場で働く人達で活況のある場所。自分の子供の頃は、この市場で鯨をさばいている様子を見たこともある。

ところが、今は何もない。駅舎の跡さえも撤去され、更地の状態だった。唯一、「WE(ハートマーク)女川」と書かれた看板と、壊れた建物だけが目立っていた。

東日本大震災 女川の風景

東日本大震災 女川の風景(2)


この後、車は石巻市街地へと向け走り、夕食は石巻の海の幸を堪能出来る店へ行った。その様子はグルメ編にて。


2日目の午前中は、湊地区に住む親戚の家へ。幸いにもその親戚の家は山の直ぐそばだったせいか、水で畳は濡れてしまったが2日後には避難先から戻ってこれたとか。その親戚宅の周りは、震災前の風景とは殆ど変わっていなかった。

しかし、その地区は海にも近いせいもあり、ほんの数分自転車を走らせただけで、まったく別の風景。更地になっている所や、家の土台となる基礎部分だけの所が、あちこちに残されていた。

その中には、廃校となってしまった学校も。鉄筋3階建ての比較的新しい校舎なのに、海に近いせいで廃校となった小学校。この学校は、自分の母方の祖父・祖母が住んでいた家から徒歩数分とめちゃ近く、自分にも馴染みがある学校でもあった。
その一方では、その小学校の隣に隣接している中学校は、この春に補修工事が完了して学校が再開された。その学校の窓ガラスには、「再生湊中 感謝 ただいま湊」の大きな張り紙が貼り出されていた。この中学校は、自分が中学でクラブ活動で卓球をしていた頃に、対戦するために訪れたことがある学校だった。

その他、壊されたままの造船所。ここは魚船を作ったり、補修を行う工場だったが、津波で壊された状態のままになっていた。

石巻 湊地区の風景(2)


この後、親戚に昼食をご馳走になり、午後は市内の至る所を自転車を走らせた。

昼食の後に向かったのは日和山公園。市内を一望出来る場所で、最も津波被害が大きかった門脇、南浜町を眼下に見下ろせる場所でもある。ラジオ石巻の送信所もここにある。

そこへ向かう途中、津波で壊れたままの家を何軒かあった。家の土台のみが残された場所も、あちこちに残されていた。

石巻 湊地区の風景(1)

石巻 被災地の風景(1)


石巻では、地元タクシー会社による被災地ツアーが行われている。日和山公園はそのツアーには欠かせない場所でもある。今年の3月11日には、この場所から生中継を行った在京民放局もあった程だ。

ここではカメラのシャッターを押すペースも早まった。

石巻 日和山から見た被災地風景(1)

石巻 日和山から見た被災地風景(2)

石巻 日和山から見た被災地風景(3)


今は更地になっているこの地域も、震災前は住宅が立ち並ぶ住宅街。後から聞いて知った話だが、この写真の地域は、トヨタのTVCMでキムタクと北野たけしが車で走ったことがある場所でもあったそうだ。

石巻 日和山から見た被災地風景(4)


その後、日和山を降りて、石巻市内で最も被害が大きかった門脇、南浜地区へと向かった。ここは津波と大火事で住宅街が消滅した地域だ。

石巻 震災被災地風景(門脇)(1)


この地域が住宅街として復興することは無く、せいぜい大きな公園が出来るだけという話も聞いている。

ここには、「がんばろう石巻」とかかれた大看板と、震災で亡くなった方々の慰霊碑。震災時の映像が見れるTVモニターも置かれていた。この慰霊碑には焼香台も置かれており、ここで犠牲者を供養するための焼香も行って来た。

石巻 震災被災地風景(門脇)(2)

石巻 震災被災地風景(門脇)(5)


この地区を襲った津波の高さを示す柱も建てられていた。

石巻 震災被災地風景(門脇)(3)


その高さは6.9m。二階建て住宅を飲み込んでしまいそうな高さの津波だ。

子供の日が目前に迫っていたせいか、ここでは多くのこいのぼりもあった。

石巻 震災被災地風景(門脇)(4)


最後に向かったのは、門脇小学校。ここは津波と火事で校舎が真っ黒になってしまった学校だ。震災の年の大晦日、長淵剛がNHK紅白の中継で歌を歌った場所でもある。

今は校舎を覆う布で、その時の姿を見ることは出来ない状態になっていた。しかし、その校舎前には、震災時にこの学校の生徒だった人達と、協力してくれた栃木県作新学院中等部の人達によるチューリップの花が沢山咲いていた。

復興計画では、もう、この地区には住民が戻ってくることは無い。廃校が決定した学校である。その校舎前に、当時はこの学校の生徒だった人達が植えた、綺麗に咲いた花を見て、胸に来るような感動を覚えた。

石巻 震災被災地風景(門脇)(6)

石巻 震災被災地風景(門脇)(7)


これで被災場所巡りも終了。これからは復興である。その復興を手助けするには、その地域を訪れて、ショッピングやグルメで楽しむこと。

次回は、石巻の観光やグルメを主題とした記事を書こうと思う。
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