今月はBCL40周年

2015年02月07日 20:49 <--クリックお願い!

自分がBCLを始めたのは、1970年代半ばに発生したBCLブームがきっかけ。
1974年の冬に、ラジカセでモスクワ放送の日本語放送を受信したのを皮切りに、中波で聞ける海外日本語放送は全て受信した。でも、短波が聞けるBCLラジオが欲しくてたまらなかったのは当然である。

その翌年の2月、BCLラジオが欲しくて、誕生日プレゼントと親にせがんで買って貰ったのが、SONYのICF-5800。あれから、今月でちょうど40年を迎えた。
当時のBCLブームはハンパじゃなく、BCLラジオのTVCMが流れ、ラジオではBCL番組が毎日のように放送されていた。
田舎の中学校に通っていたせいか、なんとクラスの男子生徒の約半数がBCLラジオを持ち、SONY派と松下派の派閥までもが出来ていた。

クラスだけでも、これだけBCLがいたので、学校全体ではかなりの数だった筈。そんな理由?からか、学校内には2つのBCLクラブが誕生し、自分はその一方のクラブで会報の編集を担当していた。

当時の日本短波放送で放送されていた、ハロージーガムの後番組であったBCLスクランブルでは、受信レポートを頻繁に送り、おおよそ3通に1通の割合で、放送で読まれていた時代もあった。

1975年2月に、ICF-5800でBCLを始めてから、一度も中断せずにBCLを続けて来た。今月、BCL40周年を迎えた訳である。

中断せずにBCLを続けて来れたのは、間違い無く、高校生時代に、当時の旧・日本BCL連盟の城南ミーティングのメンバーと立ち上げた関東DXersサークル(KDXC)で、二十数余年活動し、その過程で色々なBCL諸氏との出会いがあったから以外の何者でも無いだろう。

流石に、中学時代は田舎暮らしだったので、当時に一緒にBCLをやった仲間はどうしているかは判らない。しかし、東京に出て来て生活を始めた高校生時代。一緒にKDXCを立ち上げた友人は、今でも自宅にワッチしに来る仲。1980年代初めには、旧・月刊短波誌のDX Reportのコーナーのアドバイサーを経験した方々と一緒に、DXペディションに出掛けたこともある。

自分のDXメインターゲットは、この時代に確立。外房には、月刊短波の短波の南北アメリカ欄担当、岩手県宮古には中波の南北アメリカ欄の担当経験があるOM諸氏と、ペディションを行った経験もある。この頃が、最もDXに熱が入っていた時代だったように思う。


でも、この40年の間には哀しいことが2度もあった。

一度目は、自分が北米中波DXに熱中し、毎年、岩手県宮古でDXペディションを行っていた1980~1990年代。旧・日本BCL連盟城南ミーティングで出会い、岩手県遠野が田舎のため、宮古でのペディでも何度も一緒だったこともあった友人が、癌で亡くなった。

自分がログペリを使用し、VHFDXに夢中だった横須賀在住時代。その横須賀の家に、ログペリを建てるためのアドバイスをするために自宅に来てくれ、業者も紹介してくれた。Eスポシーズンの週末は、長電話をしながら、現在聞えているDX局情報の交換をし、その彼のお陰で、カンボジアのFM局を受信することも出来た。その彼もまた、癌で亡くなっている。

偶然にも、この二人とも自分とは1歳しか離れていない。若くして、同じ癌で永眠された。


一昨年のSDR受信機導入以来、自分のDXスタイルは外でワッチ。それが標準となり、それは当分変わらないと思う。そのため、ワッチをする回数は少ないのが欠点ではあるが。

昨年は、Eスポシーズンは自宅にこもりきりでワッチをするスタイルだった。そのためか、成果に納得が出来ていない。今年は、VHF用にも移動で使えるアンテナを導入し、特にグアム&サイパンのFM局の入感が期待出来る5月の週末は、毎週のように城ヶ島でワッチしたいと考えている。
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コメント

  1. 匿名 | URL | mQop/nM.

    ご健康に。

    そうだね、これからぼくらの世代は健康に気をつけないと。そして、末永くBCLを続けられることが一番の幸せだと思いますよ。

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