5年を経過して

2016年03月12日 04:46 <--クリックお願い!

昨日で、東日本大震災から5年を経過した。
この震災で最も多くの死者を出した宮城県石巻市は、自分が子供の頃に過ごして、BCLも始めたのも、この街で過ごしていた頃。

昨日は、この震災関連のTV番組やネット報道を幾つか見たが、その中では、自分の馴染みのある場所が出た。日和山公園は毎年のことだが、今年は、なんと予想もしていなかった、自分の親戚の家近辺も映し出されていた。
当然ながら、今では何もない広大な更地を見渡すことが出来る、日和山公園からの生中継は今年もあった。
これはいつものことなので、何にも感じなかったが、今朝の日テレのZIPでは、枡アナと首都圏の子供達が訪問した先で、
「あっ、完成してオープンしたんだ。また行こう。」
そう感じたものがあった。

津波で跡形もなくなっていた石巻魚市場である。2年前に訪問したさいは建設工事中。震災前でも全長660mの巨大魚市場だったが、今度は全長880mの日本最大の魚市場に生まれ変わったとか。
水揚げ量は震災前の8割程度に復旧。水揚げした新鮮な魚を食べさせてくれる市場内食堂も映し出されていた。

けど、石巻の主要産業である水産物加工業に携わる労働者が、再び津波がきたらとの恐怖心から戻って来ない人も多い。労働力不足から、せっかく魚市場は震災前より大きくなっても、それを生かしきれていないと、そのTV映像からは見受けられた。

ちなみに、この魚市場近辺の水産物加工工場では、自分の従兄弟が働いている。馴染みがあるのは、そんな理由があったからだ。


昼休み、ネットの写真で、震災当時と今の写真を比較するサイトを見ていたら、自分の親戚が住んでいる、家のすぐ近所の神社の写真が写っていた。
親戚からは、床上浸水はあったけど、家は無事だったと聞いていたので、さほどに思っていなかったが、その写真をみたら愕然。神社の鳥居は無事だが、境内は津波で流されて来たガレキの山だらけである。

2年前に訪問したときは、水がどの程度まで浸水し、水が引くまで裏山の知人宅にいたことを聞き、水が引いた後に畳や家財を刷新した話は聞いていたが、ガレキが庭や室内まで入り込んだ話は聞いていなかった。多分、神社と同様に、庭はガレキの山だったのだろう。

魚市場が再開したということは、石巻産の魚介類を専門的に扱う都内の店にも良いニュースだった筈。
神田には、その石巻の魚介類を出す居酒屋がある。石巻の地元産というと、真っ先に思いつくのが「ほや」。それと万石浦産の牡蠣。金華山沖で取れる金華さば。水産物では無いが、自分の幼馴染みも店を出している「石巻焼きそば」など、石巻の食材を扱う居酒屋だ。

久し振りに行ってみようかな。

それと、市場が再開したのなら、今年は何処かの連休時期に石巻に行ってみようかな。
スポンサーサイト


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://bclphoto.blog22.fc2.com/tb.php/2206-7e6973b3
    この記事へのトラックバック



    最近の記事